2001年夏 かくなる上は、もう少し生き延びて、世の中の移り変りを見定めてやろ、等と空元気を出しております。 昨年申し上げた『直江兼続の兜の前立が、兜より大きな《愛》の字で飾られていた事』ですが、その意味を調べました所、閉口したくなる答えが出て来てしまい、黙っている方が無難かとかも思いながら、やはり有りのまゝをご報告しようと思います。 直江山城守兼続(私の先祖)は、上杉謙信の家来です。主人の謙信は、少々偏屈とも言える正義漢で、一生を武田信玄や織田信長などの侵略者と戦い続け、自分の兜の前立には《毘》の大文字を飾っておりました。悪鬼を滅ぼす正義の仏神《毘沙門天》を信仰し、その頭文字を兜に飾って、我れこそは正義の武将なりと世に示したものと言われます。 兼続も主人にならって、自分が信仰している仏神の頭文字を兜に飾ったのでしょうが、《愛》の頭文字を持つ仏神は、《愛染明王》しかおりません。……とすると、これは大変です!愛染明王と言う仏神は、『夫婦愛(男女の性愛)で仏の悟りを教える』と言う、愛信仰の神様と聞いていたからです。 今から400年も昔の戦国時代の日本には、博愛や人類愛などの言語はまだ有りませんでしたから、そこを考えても、兼続の兜の前立飾りの《愛》は、男女愛と考えるしかありません。 しかし、こう言う意味の《愛》の大文字を、堂々と自分の兜に飾っていた兼続も変っていますが、それを許していた謙信も相当の変人です。上杉謙信は、一生妻帯せず女性も近ずけなかったそうですが、それでは遺伝子が残せないですぞと、家来の兼続が心配して、《愛》の大切さを進言していたのだろうと思います。 男女愛と申すものは、何故か余り大っぴらに議論する事はありませんが、人間にとって非常に大切なものである事は言うまでもありません。人間が人生の中で出会う最大の事件は《結婚》だと言われますし、結婚に匹敵する一大事は《死ぬこと》しかない、とまで言われます。人間以外のすべての生物にとっても同じで、それは正に命がけの一大事です。生きている者は必らず死にますが、消滅する生命を遺伝子として次の世に残す事が、正に結婚の正体で、この一大事は男女の愛が結実せねば成就いたしません。 その《愛》の重要さ、尊とさを直江兼続は信仰し、シンボルマークとして兜の前立に飾ったのでしょう。残念ながら謙信は兼続の進言を聞き入れず、そのくせストレスを起しては大酒を呑み、織田信長との決戦を前にして、脳溢血で早逝してしまいました。 もし謙信が《愛》に目覚めていたら、歴史が変っていたかも知れません。 21世紀、日本では支持率80%の小泉政権が発足しました。小泉純一郎氏は、三度目の自民党総裁への挑戦で、予想を覆して当選し総理大臣になりました。そうして始った小泉政治は、自民党総裁なのに今までとは大変な違いで、まるで野党に政権が変ったのかと錯覚が起きるほど、従来の自民党式シガラミ政治を改革する案を打ち出し、国民は期待と不安とで見守っています。就任1ヶ月目、最初の具体的な決断実行を迫られたのは、ハンセン病患者の人権訴訟の判決に、控訴するかしないかの決断でした。そして、官僚と政界の予想(マスコミ報道)と全く反対の、控訴せずの決定を出しました。政治家(国会)も官僚(行政)も罪を犯したと言う判決に服従したのです。こんな事を自から認めた首相は、日本では初めてです。政治家や官僚は、罪を認めてしまったら権威が地に落ちて、もう立つ瀬もないと思っていたのでしょうが、結果はその反対で、小泉首相の信用は返って高まった感じです。 どんなに偉い人でも、悪いことをして謝らないまま押し通せば、国民はその権力に直接刃向いはしませんが、心の中では何時までもその偉い人を軽蔑するものです。 後藤田正晴と言う自民党の長老の政治家がいます。この人は、与野党を問わず人望の厚い人で、もう引退しているのですが、時々はマスコミに引っぱり出されて、政治家を批評しています。この人が予想する政界の変動は、実によく当るので、マスコミにも一目置かれているのですが、今回は、筑紫哲也に切りこまれていました。今まで、色んな政治家を批評して来た中で、小泉純一郎は後藤田氏から一度も重視された事がなく、総裁選に出馬しても、『あんなのは、危いだけ……』と切り捨てられていたのだそうです。『あの批評は何だったのですか?』と筑紫哲也に聞かれた後藤田長老は、少し困っていましたが、『うーん、あの人は思いこんだら突っ走る性質だからねえー、だから危いって言ったんだ。』とか、そんな返事をしていました。 『思いこんだら突っ走る』と言う言葉に、突然私の頭は衝撃を受けました。私が、若い頃から、父や母に何度も注意されていた言葉だったからです。そして、いくら注意されても、結局直らないまゝ今でも持っているその癖は、肉体の老化衰弱で何とか沈静化はしたのですが……。 落ちついて考えてみると、『思いこんだら命がけ』で、徳川家康に反抗して没落してしまった直江兼続も、今大きな権力に立ち向かっている小泉首相も、脳味噌の細胞が似ているようで、何とも心配になって来ます。 さらに心配なことは、小泉さんに奥さんがいないこと。心身ともに疲れ果てるに違いないのに、奥さんの助け無しで疲れを癒さねばならない訳で、これが一番心配です。上杉謙信の真似はしないで欲しいし、それには、つまり、その、兼続が信仰した《愛》を悟って取り入れて欲しいと思ってしまいます。やっぱり、愛がないと、人間は本当の力が発揮できないのじゃありませんかねえ。 どうぞ貴方様も、《愛》を大切になさって下さいませ。これで近況ご報告を終ります。 合掌 |